貝塚を昔の人はどう思っていたのでしょうか。
ダイダラ坊、ダイダラボッチと呼ばれる巨人伝説は、日本各地で伝承されていますが、それは海から離れた場所にあるたくさんの貝殻に対する疑問などから生まれたといわれています。
あまりにも大量の貝の塚だったからでしょうか。
奈良時代に書かれた「常陸国風土記」には「ずっと昔、大櫛というところに巨人がいて、長い手を伸ばしてハマグリを食べ、貝が積もって丘となった」とあります。
この大櫛の丘は、茨城県水戸市の国指定史跡大串貝塚のこと。大量に朽ちたという意味の「大朽」が「大櫛」となったという地名説話があるそうです。
▼大串貝塚ふれあい公園には、高さ15mほどもある巨人像が…
千葉市にも巨人伝説があります。おゆみ野の太田法師(緑区おゆみ野南)の「太田法師」の地名は「ダイダラボッチ」などと呼ばれる伝説の巨人に由来するものと考えられます。遺跡名は「おおたほうし」とつけられてしまったそうなのですが、本来の読みは「だいだいぶし」。
遺跡の中には、台地上のくぼみがあり、これが巨人の足跡とみられたのだとか。
近くには、六通貝塚や大膳野南貝塚があります。「だいだいぶし公園」という名前が保存され、今にその名残をとどめています。