土器と加曽利貝塚

加曽利貝塚は、地層の上下関係により、土器形式の新旧関係を実証的にとらえることに初めて成功した遺跡です。今日、考古学において加曽利貝塚は、縄文土器による年代配列において重要な遺跡として広く知られています。

 

加曽利貝塚では大正時代、発掘する地点をアルファベットごとに分けて調査をしていましたが、その際、B地点とE地点から新しい形の土器が発見されました。出土した土器は「加曽利B式」「加曽利E式」と命名。後にその土器は、地層の上下関係から加曽利B式は縄文後期中頃、加曽利E式は中期の後半のものとして位置づけられました。

 

この成果は、土器研究の基礎となり、その後の全国的な縄文土器による年代配列の確立につながりました。「この土器が出土した場合は、約何千年前の遺跡だ」というように出土した土器形式によって、遺跡の年代がわかるようになったのです。

*加曽利貝塚からは堀之内式土器(縄文時代後期前半)も出土しており、B地点では上層から加曽利B式、下層から堀之内式が、E地点では上層から堀之内式、下層から加曽利E式が出土しました。